★【開催報告】支援法北海道フォーラム~北海道が切り開く原発事故後の未来~

 

<開催報告> 

支援法市民会議では、北海道の皆さまのご協力により『支援法北海道フォーラム』を開催しました。

当日は北海道各地から原発事故により避難・移住されている方々、市民の方々、そしてメディアの方々100名以上にご参加いただきました。

北海道フォーラム報告書
131115北海道フォーラム報告書.pdf
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日 時

20131115日(金)13301700

場 所

北海道クリスチャンセンター大ホール

主 催

原発事故子ども・被災者支援法市民会議

協 力

札幌むすびば、みちのく会、ようこそあったかい道、福島の子どもたちを守る会・北海道、NPO法人北海道NPOサポートセンター、北海道NPO被災者支援ネット、社会福祉法人札幌協働福祉会、コープ札幌、北海道YMCA、ピーチハート

後 援

北海道、札幌市、福島県北海道事務所、札幌弁護士会

 

◇関連報道・映像

STV「道内に2800人、苦悩する避難者」

http://www.stv.ne.jp/news/index.html

 

IWJ Ustream録画(アーカイブは1部、2部のみ公開)

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/111719 

 

 

◆開会挨拶 中手聖一(支援法市民会議) 

 

◆国会議員挨拶代読

メッセージを頂いた国会議員を代表して、荒井聰衆議院議員のメッセージを司会より代読。

 

◆現状報告 支援法市民会議より

(1)福田健治弁護士(福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク)

  札幌に来るのは56回目。震災以降、最も訪れている場所。白河市から札幌に避難している人の支援をさせてもらった。再び札幌に来れて嬉しい。

  最近気になることは、被害者をいなかったことにしよう、原発被害をなかったものにしようという動きが高まっていることだ。20ミリシーベルトで安全だと政府として決めたいと読売新聞などの報道があった。そもそも学校の校庭の使用の問題で20ミリシーベルトで大丈夫と文科省が基準を出し、それがおかしいという市民の運動が高まり、1ミリシーベルトをめざすという方針展開がなされた。改めて20ミリシーベルト以下なら安全、戻ってくださいと政府が言っている。

私からは子ども・被災者支援法の内容について短くお伝えしたい。支援法は、全会一致で採択された。改めて読むと、とてもいいことが書いている。

  第1条目的。事故による放射性物質の放出、影響が科学的に未解明なので、住んでいる人、避難している人に必要な支援を行う。支援法はもともと被ばくの問題はこれが安全だという基準がないという前提に立っている。

  もう一つ重要なのは、人びとの選択を認めること。第2条の理念の部分。それぞれの被災者が、とどまる、避難する、を自らの意思で選ぶことができる。それを国が支援する。中身としては、残った方、避難する方、戻られた方への支援メニューが多数。それを具体化するのがこれまでの課題であり、今も課題。

  もう一つは、第132項の健康に関する支援。一生涯にわたる健康診断。そして、第133項の医療費の減免。いつどのように影響が出るかわからない。多くの人が不安を抱えている。もし医療が必要になったら医療費の減免を国が講じていくと定めている。

  影響はあるかもしれないということを前提に、国が必要な支援を行っていく。改めて、この支援法の意義を今噛みしめたい。

 

(2)満田夏花(認定NPO法人FoE Japan

  FoE Japanは環境団体。支援法市民会議の事務局を務めている。震災・原発事故が起き、未曽有の惨禍を被災者の皆さんと共に取り組んでいきたいということで、原発事故被災者支援などの活動に着手した。最初に取り組んだのが20ミリシーベルト撤回、次に自主的避難にも賠償を求める活動、そして支援法にいたる活動を中手さんやサフランの皆さんなどと取り組んできた。

  私からは基本方針の概要と問題点をお伝えしたい。ポンチ絵(基本方針の概要)をご覧頂きたい。830日復興庁から発表された。基本方針がそれまでなかなか出てこなかった。12か月何も実施されない状況が続き、しびれを切らした被災者の方々が国を相手取り提訴。その8日後に基本方針案が出てきた。

  前進した面としては、民間団体を利用した被災者支援の拡充、NPOを通じた被災者の相談窓口を充実する。また、自然体験活動の拡充を行う。これまで福島県内だけだったが、今後は県外にも広げる。これらは大きな前進だと思う。

  でも、多くの点で不十分であり、復興庁に訴えてきた。まず、被災者の声の反映が不十分であった。政府は福島と東京で2回だけ説明会を実施。でも、意見を聴いても、たくさんあった意見が反映されなかった。多くの意見は「支援対象地域の基準を年1ミリシーベルトに」というものだったが、支援対象地域は福島県33市町村に限定された。政府は線量の基準を作らなかった。

  次に法の理念の具体化がなされなかった。予防原則や健康被害の未然防止、健康診断の実施、医療費の減免措置。これらこそ具体化が求められたが、訴えが届かず、基本方針が決まってしまった。

  ただ、基本方針はあくまで支援法の下にあるので、法律に基づいて国に対して要望を届けていくことはできる。これからもみんなで頑張っていきましょう。

 

◆第1部 北海道避難者報告

(1)小祝美雪さん(自主避難者住宅自治会、宮城から札幌に避難)

  出身は北海道。主人の転勤で宮城県仙台に移住。被災地の真ん中にいて子どもを抱えている人間として、大変な想いをした。放射線量の測定をしていた友人から、3号機の爆発後、どうにかして逃げてほしいと電話があった。事故が起きたときは恐怖感は持てなかったが、友人の電話によって恐怖で体が震えた。子どもたちのことを考えたときに、どうしたらいいか。ある時に、何としてでもここを避難しようと腹が決まった。子どもを守ろうとすると母親は冷静になる。ガソリンもなく飛行機も飛んでいない中、何とか319日に千歳空港に降り立った。その間ほとんど寝れなかった。子どもを守るために本能で何とかしようと必死になって避難してきた。

  国は大変な事故が起きているので、パニックが起きるから、本当の情報を知っていながら流さなかった。たくさんの人が必要な時に判断ができなかった。

  雇用促進住宅、桜台団地(220世帯)へ。当時はまだ数人だったが、問い合わせがたくさん来ていた。一人でここに来るのに不安を感じたので、帰ってしまう。安心できる材料がなく、住むという決断ができなかった。

  北海道の行政の方々の尽力もあり、整備されて、自分は4月に申込み入居できた。当時はまだ入居は少なかった。

  そのあと政府がメルトダウンを発表。あっという間に住宅が埋まった。みなさん即断して帰っていった。危機感により人の動きが起こる。一人一人の判断力の差や情報収集能力の差、生活環境の差などがあり、危機感を持たずに決めることは難しい。

  615日宍戸隆子さんが入居。一緒に自治会を立ち上げた。うちの団地では、友達同士で来た人はいない。家族を捨て、親戚には帰ってこれないと脅されながら、子どもを守るために必死で逃げてきたお母さんたちばかり。お茶会などやったり、表面的にはみんな仲良くしているが、最初に戻ってほしい。みんな故郷を捨ててきた。支援法の基本方針でも、福島しか支援対象地域になっていない。それを見たときに哀しくなった。関東からも避難者が来ている。福島、宮城、岩手など地震や津波の被災者に限らず、受け入れてくれた。行政、NPO、たくさんの方々が心を込めてやってくださった賜物。しかし、限界がある。昔ボランティアをやったことがあるが、個人の範囲のボランティアをやりなさい、と言われたことがある。行政の責任という言葉を使いたくないが、行政ができる、もっている大きな力がある。被災者をみんな助けることができる力がある。

  フィリピンの台風被害があったとき、フィリピンに原発がないか調べた。バタアン原発がマルコス政権時代にできたが、1986年、マニラから近いこの原発に危機を感じたアキノ大統領が営業許可を出さなかった。このことを知った時に涙が流れた。政治や行政の力はそういうものだと思っている。被災者支援法は、必死に生きているお母さん方を助けなければいけない、そのために一番大切な法律だと思っている。今日本に住む大人が全員向き合わなければいけない法律だと思っている。

 

(2)鈴木明広さん(福島から函館に避難)

  2011928日に子どもと母子で函館へ。地元では485000Bqの土壌汚染。もも、なし、かき、ぶどうが美味しい地域。

  避難の経緯について。311日時点で子どもは中1、高1だった。北海道の高校で受け入れ枠があった。新幹線で盛岡、青森へ出て北海道へ。20115月に長男をまず北海道へ。

  次男の学校の校長先生が良心的で、学校やテニスコートを使わなかったが、夏休みあたりから他の学校と歩調をあわせるように。次男に相談したら僕も行くと言った。妻は高校教師。妻は残り、自分と子どもたちで北海道へ。その後妻も来て移住。しかし、まだ難民のよう。生活も不安定。大学学費もかかるうえ、給料もダウン。追いつめられていく感じ。

  函館では、ほとんど福島に夫がいて、小さな子どもたちを抱えているお母さんたち。若い方々を見捨てられない。今は、みちのく会の函館支部として活動。オール北海道でやる必要がある。でないと、内紛がおこり、そこにつけいれられてしまう。

  支援法について。外部被ばくに偏っている。またNPOを使った被災者支援とあるが、どこに置くか。たとえば札幌に情報が来ても、函館に情報が来るのは最後。数か月遅れて入ってくることも。活用するのであれば、釧路、札幌、函館、稚内など、主要な拠点となる都市に置いてほしい。

  住宅は、札幌と違い親戚や友人がいるので避難してきたという人が多い。避難者という声をあげたくないという人も増えている。安心して、あとはひっそりしていたいという人もいる。

  行政も、函館の場合は戸別訪問がないので、自分のほうが状況がわかる。住宅を借りているが、子どもが大きくなってきて引っ越したいが、住み替えがだめ。これを何とかしてもらいたい。また住宅を借りる期限を過ぎてから新たに来た人を救い上げるには、この法律に魂を入れて予算を付けることしかないだろう。道南はJRを使う人が多いので、そこへの支援がよい。

  予算が付き、安心できるような経済的サポートがあれば、今後も根付いていけるだろう。

  北海道の方々にはお世話になっている。今後もよろしくお願いします。

 

(3)金谷光英さん(埼玉から札幌へ家族を避難経験有)

  みちのく会旭川支部長。生まれは紋別市。道内に就職して、東京へ行き、震災当時は東京の虎の門の会社にいた。銀座4丁目の交差点にいた。埼玉川口市に妻子が住んでいた。仕事柄、文科省、経産省とも交流があり、放射能の危険を後々知り、15日に埼玉から妻子を避難させた。都内でも水にセシウムが混ざったことが報じられた。埼玉にどうまた住まわせるか迷った。新学期は埼玉で迎えさせたが、両親が病に倒れ、看取るために北海道に行きたいということで転勤になった。明後日は母の命日。

  みちのく会の本間さんなどに会い、旭川支部を立ち上げた。あれから2年近く。甲状腺検査の手伝い、健康相談会、茶話会などを行った。旭川には市役所でつかんでいる避難者は40組。若干減っているようだが、みちのく会には新たに入ってくる人たちがいる。これから移住してくる人もいる。旭川支部は130名。

  駅の近くにデパートがあり、そこにみちのく会の居場所「みちカフェ」を今年6月にオープン。飲食店として船出。素人集団の運営なので、経営は難しかったが、いったん11月にリニューアル。集まりたいときは今後も使わせてもらえるのでお声掛けください。

  旭川市議会は支援法の意見書をまだ出していないよう。名寄市議会は出している。旭川から札幌を見ると、行政と市民団体がいい関係。見習いたい。

 

(4)松浦聖子さん(栃木から定住希望 洞爺在住)

  一主婦としてお話したい。栃木県那須町から2011年秋に札幌に避難。栃木の暮らしは自然の中で生かされていることの大切さを子どもにも感じてもらいたいと、自分で家を建てて小さな畑をやりながら自然と共存することを楽しんで暮らしていた。那須も震度6だったが家も大丈夫で、もともとスローライフをしていたので、電気がランタンに変わっただけで我が家ではあまり影響を受けない暮らしをしていた。次の日、原発が爆発したので初めてパニックになった。頭で危険を感じようとしても、目の前の自然は同じで危機感をなかなか抱けなかった。でも、子どもたちを守りたい、被ばくさせたくないということから避難できた。

  命を育んでくれた森が街よりも汚染された。放射能には太刀打ちできない。身の回りの自然を大切にして、自分のできることを少しずつやりながら生きていこうという価値観の小ささを思い知らされた。

  自分は子どもと埼玉の実家に避難。栃木で暮らし続ける人がいる中で、避難するというのは決意が必要だった。

  畑で、地表5センチで4マイクロシーベルト、水がたまるところは2桁に上がった。避難を決断するのに十分な数値だった。

  最初にやってきたのが札幌。罹災証明の一部損壊があり、URの住宅が借りられ、大変助かった。奥歯を噛みしめていたころは一生懸命生きてきたが、生活に慣れてきた頃に、新しい仕事、置いてきた家族、未来への不安に覆われるようになった。また娘が浴びた初期被ばくの体への影響などの不安に押し潰されるようになった。一度、鬱のような状態にもなった。那須でいたころのような状況に少しでも戻したいと、最初の冬の間に色々見て回った。北海道では冬の状態を知らないと住めるか判断ができない。雪が解けた春に、札幌と新千歳空港が近く、夕日がきれいだった長沼町に決めた。1年間の住宅支援を受けられることに。役場の方や町長自らが私たちの要望をくみ取ってくれた。町議会議員さんが相談に乗ってくれたり、近所の方が大根を置いていってくれたり、心がだんだん温まる生活になってきて感謝している。自然農の農家さんを紹介してもらい、充実した仕事環境に置かせてもらった。気がつけば知り合いだらけに。ようやく避難者から、地域移住者に慣れてきたかというところで、住宅の問題がまだある。1年間見つからず、出なければならず、有料で短期条件付きで入ったが、3件目の引越しをした。追われるような生活に疲れてきた。安心して心地よく暮らしていける家に今でも出会いたいと思っている。原発事故のショックやトラウマは和らいできたが、震災前、自分がワクワクしながら夢を持って暮らしていた頃を思い出してきた。やっと、震災から2年半経って。北海道の生活を培うと、故郷を捨てるのではないかという怖さがあった。中途半端な覚悟では中途半端なことしかできないことがわかった。しかし、最近夢を想い出してきた。最近、洞爺湖に4回目の引越しをした。

  子どもに対する健康への不安は一生消えることはない。残してきた家族の心配も消えることはない。各個人の問題はさまざま。少しでも国が国民に寄り添い、助けになるものであってほしいと、支援法に思う。

  栃木県那須町は準支援対象地域。たった500メートルの福島県西郷村は支援対象地域。同じ町のほかの地域より私たちが住んでいたところは線量が高い。それなのに支援を受けられるかわからない。

  支援法の対象地域から外れた人たちが、だんだん声を出さなくなる。大変危険なことだと思う。国の支援は必要な人みんなに届いてほしい。オリンピックに使うお金をすべてこちらに使ってほしい。子どもたちがこの国に生まれてよかったと思える国を私たちで作っていけたらいい。

 

満田より補足

  準支援対象地域の定義はない。施策ごとなので、北海道から沖縄まで準支援対象地域。

  借り上げ住宅支援制度は再来年3月まで。一部報道で誤報があったが、その後はまだ決まっていない。

   「公営住宅への入居の円滑化」と復興庁が言っているが、具体的なことはまだ。

 

◆第2部 北海道支援者報告

(1)篠原結城子主幹(北海道道外被災県・避難者支援対策本部/北海道総合政策部地域づくり支援局地域政策課)

  震災発生後2011318日に、庁内の各部局で情報やそれぞれの動きを共有し、迅速で効果的な支援を行うため、「道外被災県緊急支援対策本部」を立ち上げた。被災3県に赴き、必要な物資、応援職員、避難者の受け入れに関するニーズを把握し、支援物資等をお届けしたり、避難所の運営に当たる職員や医療救護班などを派遣。また空いている公営住宅を確保し、被災県に情報提供するなどした。

  北海道に来られた方たちの相談をワンストップで受け付ける総合相談窓口を設置。土曜日、日曜日、平日夜も開設。415日までで450件の相談が寄せられた。

  道内に避難されている方は一番多いときで3220名、現在も約2800名おり、この方々に対する支援の概要は配布資料(7)参照。

⇒避難者向け広報誌「からから」の発行。 

⇒フォーラムの開催:被災者、行政、支援者など多様な方々。 

⇒一時帰郷支援:被災地の様子をレポートしてもらい、広報誌に掲載。

  事業は広域避難アシスト協議会(みちのく会、あったかい道)に委託、頻繁に打ち合わせを行いながら進めている。

  広報紙の編集に当たっては、毎月編集会議を実施、避難者が知りたい情報、行政がお知らせしたい情報のすり合わせなどを行っている。

  避難者の方々がぜひ知りたいと思っている内容を独自に協議会で取材して作っている場合もある。役所がつくると堅いもの、わかりにくいものになりがちだが、私どもからみても、わかりやすい内容になっている。協議会を通じて避難者の実情、想い、ニーズが把握でき、これからの支援についてどうしていくかといったことも検討できるので、こうした団体と連携していけることは大変有り難い。

  支援法ができ、期待していた基本方針が示されてもなかなか具体的な内容が見えてこない。道にも基本方針が決まってから、何件かお問い合わせをもらったがはっきり答えられることがなく、申し訳なく思っているが、道としては、避難元に戻られる方、北海道に移住される方、それぞれが希望を持って暮らせるようにこれからも支援を行っていきたいと考えている。

 

(2)成澤元宏課長(札幌市市民自治推進室)

※配布資料を基に説明。

1.市内避難者の状況。約1500人、ほぼ昨年から変わっていない。新たに来る方や帰る方も。

2.市全体の支援方針。317日に「支援対策推進本部」を立ち上げ。その前にも非公式に今後の対応について会合。

3.市民自治推進室市民活動促進担当課での支援の取り組み。そもそも、NPOやボランティア団体を支援する部局。条例により、札幌のまちづくりの主体は市民であると定めている。自治基本条例の中でも、まちづくりを進めるには、市民の声を聴くということを基本にしている。市民まちづくり活動促進条例で、情報、人材育成、場、財政の4つの支援を行うことが定められている。今回は人材育成を除く3つの支援を実施。

①     財政支援:さぽーとほっと基金。事務経費などを引かずに、寄附をすべて支援団体へ。3ヵ年の寄附の合計が約4800万円で逓減傾向。被災地支援、一時保養などの市内避難者支援にこれまで助成したのは40事業3000万円。残り1800万円は大切に使わせてもらいたい。今後の引き続き寄附の受け皿と助成を続けていきたい。

②     場の支援:被災者支援を行う団体の活動の場を提供。引き続き支援していきたい。

③     情報等の支援:北海道NPO被災者支援ネットを通じた情報提供、相談、交流、情報交換会等の支援を3ヵ年国の緊急雇用事業を活用。相談件数は初年度1400件、次年度1200件。コンサートや野球の観戦などは増えている。各家庭が抱えるさまざまな悩みが多数。国の緊急雇用事業が今年度で終わるので、国の財源がなくても続けられるように、財政当局に現在かけあっている。

 

(3)山口たかさん(NPO法人福島の子どもたちを守る会)

  矢内代表は天栄村から札幌へ。中手さんからのメールの転送で、子どもたちがのびのびと青空の下で空気を吸い遊べる環境ということを聴いて、それならこちらでできると思い始めた。20117月、44名の保養受け入れからスタート。今日まで7回、230名の親子の受け入れ。小さな子のために親子で受け入れ。避難のワンステップとしての保養の効果もあると思う。

  市民放射能測定所も立ち上げ。北海道新聞社からエコ大賞も頂き、今は独立して活動。

  福田さん、満田さんと、避難の権利集会も開いた。

  その後支援法ができてよかったと思い、うかつだった。今日、こういう集会ができたのはよかった。

  今年2月には、ドイツの放射線防護協会の専門家を招いた勉強会。

  現在、だんだん寄附が減り、忘れ去られようとしている中、原発事故は終わっていないと言い続けたい。いつでも希望するときに、希望する方が希望する期間滞在できる常設の保養施設を作りたいと思っている。既存の建物の補修などをして使いたい。今年6月からスタートしている。

  脱原発運動から一線を画し、人権、子どもたちの権利を守る問題としてやっている。

  小田実が被災者生活再建法を阪神淡路大震災後に作った。小田さんは「これは人間の国か」と言った。今それを想う。このままだと被災者の皆さん、先が見えず安心して未来を築けない。日本が人間の国になるように、皆さんと力を合わせていきたい。

 

(4)みかみめぐるさん(東日本大震災市民支援ネットワーク・札幌むすびば)

  2011316日に、札幌駅北口のエルプラザ2階に90人以上の市民が、被災者のために動こうと集まった。ひた走ってきた2年半だった。早い段階から避難してきた方たちが支援の輪に加わった。宍戸さん、松浦さんなど早い段階でむすびばに加わり、今避難者が何を必要としているか出してくれた。それがひた走るエネルギーになった。

  北海道や札幌市など行政の方々とも平場で一緒に汗をかき、悩みを分かち合いながら力を出し合ってきた。前例のないことをやってきた。行政の方々も一市民の気持ちを携えながらやってくださった。

  支援法が去年できたときは本当に喜んだ。1年経って「えっ」という思いだった。被災者の暮らしの中に生きた法律として実現していかなければならない。市民会議の皆さんにはこれだけ頑張って頂いて頑張れとは言いにくいが、頑張ってほしい。私達のような被災者支援活動の現場屋は現場の中でこれからも頑張りたい。全国で一時保養をやっている団体のネットワーク化にも注力。去年発足した311受入全国協議会の活動の柱の一つが保養をメインにした相談会。年に45回実施していて、どんな相談にも向き合っている。福島だけでなく栃木でもやった。今回の冬の相談会は初めて西郷村で行うが、西郷村の後援も頂き、普段はお母さんたちが準備するが、村議会議員さんたちが準備をしてくださっている。とても画期的なこと。行政の方と本当に一緒にやっていきたい。

  福島県の中学3年生に限定した学習支援付きの一時保養を行うことで、今、札幌への避難を前提とした高校進学相談や、大学進学相談が相次ぎ、下見にも来られている。

  動けないお母さんたちは、あの手この手でわが子を守ろうと頑張っている。私達は緊急支援から継続的支援へと移行する段階にある今、支援法を動かして、血肉のついたものにしていきたい。

 

(5)宍戸隆子

  復興庁情報提供相談支援事業について。NPOを活用した情報提供、相談業務を北海道、山形、新潟、大阪で行う。避難者自身が避難者の相談にあたる。私としては一番大きな仕事になると思う。避難者の相談はとても難しい。わかってもらえないんじゃないか、何もしてもらえないんじゃないか、と言いたいことをなかなか言えない。同じ避難者の立場でわかってもらえるかも、と思ってもらえたら嬉しい。

  私たちのほしい情報はダイレクトに来ていない。避難先、避難元からの2種類の情報を伝える。これから復興庁からアンケートが届くので、情報提供してほしいと回答してほしい。

4か所なのは予算がついていないから。でもニーズがあれば、来年度増やしていける。皆さんの声をもっと復興庁に届けられる、直接やり取りできる場を掴んだので、諦めないでほしい。国、県に言うことも諦めないでほしい。もし声をあげなかったら支援法もできなかった。相談業務も復興庁から積極的にやる、ということにはならなかっただろう。この業務に関われる人数はとても少ない。少しでも皆さんの「役にたつ情報を送ってほしい」「こういう情報がほしい」という声を私に届けてください。そうしていくことで、支援法は変わっていくことになると思う。一年ごとの見直しが明記されている。避難者だから、避難者に関わっている支援者だからできること。週2回相談業務を受けることになる。些細なこと、生活のことや悩みなど何でもいいので活用してほしい。どうか皆さんのお力をお借りしたい。

 

◆第3部 意見交換会

(1)避難者への問題提起(中手聖一)

(2)支援者への問題提起(東田秀美 支援法市民会議)

(3)グループ討議

(4)グループ発表 

 

避難者のグループと、支援者のグループで、「避難者にとっての自立とは?」「避難者の自立を促す支援とは?」というテーマでグループ討議を行い、グループ内で出た話を全体で共有しました。

 

◆閉会挨拶(満田夏花)